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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)6740号 判決 1982年1月26日

原告

山中久三郎

原告

山中健靖

右山中健靖法定代理人親権者父

山中久三郎

同母

山中岱子

原告

山中義夫

原告

山中八重子

右原告ら四名訴訟代理人

久保田昭夫

徳住堅治

被告

中嶋一男

右訴訟代理人

楢原英太郎

右訴訟復代理人

今出川幸寛

主文

一  被告は、

1  原告山中久三郎に対し、金四一四万五八〇七円及び内金七四万五八〇七円に対する昭和四八年四月一五日以降、内金三四〇万円に対する昭和五三年七月一六日以降、各完済に至るまで年五分の割合による金員を、

2  原告山中健靖に対し、金二〇万三〇七三円及び内金一八万三〇七三円に対する昭和四八年四月一五日以降、内金二万円に対する昭和五三年七月一六日以降、各完済に至るまで年五分の割合による金員を、

3  原告山中義夫に対し、金五五三万五一五二円及び内金五一二万一五二円に対する昭和四八年四月一五日以降、内金四一万五〇〇〇円に対する昭和五三年七月一六日以降、各完済に至るまで年五分の割合による金員を、

4  原告山中八重子に対し、金五五四万八八六八円及び内金五一七万三八六八円に対する昭和四八年四月一五日以降、内金三七万五〇〇〇円に対する昭和五三年七月一六日以降、各完済に至るまで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求はいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一事故の態様

1  原告ら主張の日時、場所において、被告が被告車を運転して栗橋町方面から大宮市方面に向かい本件道路の右側車線を走行中、左側車線を同一方向に進行していた原告久三郎運転の原告車と被告車が衝突し(第一次衝突)、その後両車両とも対向車線内に暴走し、折から対向車線の第二車両通行帯を進行してきた訴外中島運転の中島車前部と原告車左側面とが衝突し、中島車に押された原告車が被告車に衝突し(三重衝突)、原告車及び被告車とも対向車線側の田に転落したことは、当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、本件道路は、幅員約一三メートルの上下二車線で、各車線はいずれも第一、第二車両通行帯に区分され、アスファルト舗装された直線平たんな見通しのよい道路で、本件事故当時は激しい降雨で、所々に水たまりができていたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

2  原告は、第一次衝突は原告車右後部ドア付近と被告車左前部との衝突である旨主張し、被告は、第一次衝突は原告車の右前部と被告車の左後部との衝突である旨主張するので、この点について判断する。

(一)  <証拠>によると、次の事実が認められる。

原告車(白色カローラ・ライトバン)の車体右側には主な損傷等として、前部右端の前照灯、バンパー、フロントエプロンなどが内側後方へ押しつぶされたように折り曲げられ、前部フェンダーも右前輪の前付近まで内側後方へ折り曲げられた形の損傷、前部ドアの中央部分に圧こんがあり、ドア下端が外側へまくれたような形の損傷、後部ドアの取手の下部(地上高約六五センチメートル)に圧こん、後部ドア下部中央付近に鋭いへこみを伴う圧こん、後部ドア下部後方のサイドモールのすぐ上(地上高約四七センチメートル)に水平に走るへこみを伴う擦過こん、後部ドア中央付近(地上高六七ないし七〇センチメートル)に紺色塗料の付着こん、がある。

また被告車(紺色ファミリア・ライトバン)の車体左側には、主な損傷等として、前部バンパー左端(地上高四四ないし四六センチメートル)に白色及び紺色塗料の若干付着した擦過こん、前部フロントマスクの前照灯左横中央部分(地上高約六五センチメートル)に白色塗料の付着した擦過こん、右のすぐ上方(地上高約六八センチメートル)に扇形の白色塗料の圧着こん、前部フェンダーのサイドマーカーランプの下方に扇形の白色塗料の付着こん、前部フェンダー中央部に中央付近が深くえぐれ、前端はサイドマーカーランプに至る大きな圧こん、前部ドアからフェンダーにかけての部分と後部の給油孔の右斜め下方の部分に、直径約三三センチメートルの円型の二つの圧こん、給油孔の左横に逆L字型の圧こん、後部フェンダー上に、テールランプ取付枠の下方固定ねじの左から前方へ水平方向にまつすぐ走る一条の擦過こん、テールランプ上端の横から前方へ水平方向に走る二条の擦過こん、テールランプとバンパーにはさまれた部分に上下幅約五センチメートルのへこみ、後部バンパー左端の最もふくらんでいる部分にへこみ、がある。

(二)  右の損傷のうち、その成因が明確に推認できるのは、である。この二つの円型圧こんは、その直径、中心間の距離からみて、原告車の右側前後輪が被告車に押しつけられたため生じたものであることは、明らかである。そしてこれらの圧こんには、車体の前後方向に力が働いたこん跡がないから、三重衝突の際に、原告車の右側が浮き上つた状態で速度のほぼ等しい被告車の左側面に押しつけられる型でぶつかつたため生じたものであると考えられる。また、の圧こんも車体前後方向に力が働いたこん跡がないから、右と同一の機会に生じたものと推認するのが合理的である。は、やはり同一の機会に、原告車右後部ドアとタイヤハウスの縁が圧着されたことによつて生じたものとみられるし、の紺色塗料の付着こんは、前記のようにして原告車が被告車に押しつけられた形で衝突したことによつて生じた被告車の左後部ドア後部あるいは荷台前部の変形によつて盛り上つた部分の塗料が圧着されたものと推認することができる。との損傷は原告車の右前端部が被告車の左前部フェンダーの中央部分に衝突してできたものと推認することができるが、原告車の前部は右端部のみに前記の損傷があつて、中央寄りの部分には損傷がないこと、の損傷は前記のとおり中央付近が深くえぐれていること、からみると、原告車の右前端部と被告車の左前部とは浅い角度で衝突したものとみるべきである。また、この衝突は、前記の損傷の原因となつた衝突と同時か、その直前に生じたとみるべきである。けだし、の損傷の原因となつた衝突時には原告車は右側を浮き上らせた状態になつていたことは、前判示のとおりであるが、両車のボンネットの高さからみて、右の浮き上り状態で原告車の右前端下部が被告車の左前部フェンダー中央部に衝突したものとみるのが合理的であり、そうでないと、原告車のボンネットに損傷が生ずるはずである。そして、の損傷との前輪による円型圧こんの中心との距離は約七一センチメートルで、これは原告車の前輪の中心から前部バンパー先端までの距離に一致している(前掲甲第一〇号証)。このことは、との損傷が生じた衝突のときの両車の前後の位置関係に大きな変化が生じていないときにの損傷の原因となつた衝突が発生したことをうかがわせる。また、の損傷の原因となつた衝突後に両車の前部が浅い角度で衝突するということは、考えられないからである。

(三)  次に、の被告車左後部に存する擦過こんないしへこみについては、それの損傷と、原告車、ことにその右前部と照応を示すこん跡は認められず、両車の損傷等からその成因を推認することはできない。<証拠>中には、のへこみは原告車の右前部フェンダーが被告車左後部テールランプとの接触により後退しながら変形下降し、テールランプとバンパーにはさまれた部分に突き込んだためできたものであり、のへこみを作つた後原告車の右前部フェンダーは右前方へ滑つた旨、のへこみは、原告車の前部バンパー右端が接触したことによつて生じたもので、原告車右前部の変形及び損傷の大部分は右接触の際に生じたものである旨の記載ないし供述がある。しかし、前掲各証拠によると、被告車の左テールランプには原告車が接触したこん跡や損傷は認められないこと、のへこみの表面はなめらかで擦過こん等がないこと、原告車右前部の損傷の著しさに比べて、被告車左後部にはそれに対応するような変形及び損傷がないこと、前記のとおり原告車右前部損傷は被告車左前部との衝突によつて生じたものとみるのが合理的であること、からすると、右記載及び供述は信用することはできない。

(四)  残る損傷等はとである。の原告車左後部ドア下部に存する水平に走るへこみを伴う擦過こんは、変形の態様からみて他の物体が原告車の後方から前方へ動いて接触したときに生じたものとみられる。の損傷等は前記の損傷の原因となつた衝突によつて形成されたものとは考えられない。けだし、前判示のとおり、の円型圧こんが原告車の右側前後輪によるものだとすると、原告車の前輪の中心から前部バンパーの先端までは約七一センチメートルしかなく(前掲甲第一〇号証)、原告車の車体右側先端は位置まで届かないからである。の擦過圧こんとの擦過こんとは、前判示のとおり、地上高がほぼ一致する。しかし、の損傷ないし塗料の付着こんと明確に照合する原告車の損傷等を特定することはできない。

(五)  以上の諸事実と<証拠>を総合して考えると、原告車の右後部ドア後方下端付近に被告車の前部バンパー左端が浅い角度で接触し、その後両車とも対向車線内に暴走し、対向車線の第二車両通行帯を進行して来た中島車が原告車の左側面に衝突したが、その時には原告車の右前端が被告車の左前車輪中央部付近に衝突していたこと、この三重衝突により原告車は左回転、被告車は右回転をし、原告車の右側面が被告車の左側面にほぼ平らに押しつけるような形で衝突したこと、を認めることができる。<証拠>中、右認定に反する部分は、前掲各証拠及び右(一)ないし(四)に認定した各事実に照らし信用することができない。また、<証拠>中には、被告車に乗つていた被告、訴外植木柘、同玉丸一郎は、被告車が走行中左後部に衝撃を受けたので、振り返つてみると原告車が被告車の左側を前方へ追い抜こうとしていた旨の記載ないし供述があるが、同様に、信用することができない。他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

二被告の責任

1  被告が被告車を所有していたことは当事者間に争いがないから、被告は被告車を自己のため運行の用に供していた者であることが認められ、また、前記本件事故の発生につき当事者間に争いのない事実によれば、本件事故は被告車の運行によつて生じたものであることが認められる。

2  そこで、本件事故発生につき被告の過失の有無を検討する。

前記認定のとおり、第一次衝突は原告車の右後部ドア後方下端付近に被告車の前部バンパー左端が浅い角度で接触したものであり、<証拠>によれば、第一次衝突の接触は、被告車が原告車に対し、相対的に後ろから前へ出る形で生じたことが認められる。右の各事実と、<証拠>を総合すると、被告車は、原告車が右側車線から左側車線へ移り終つたとき、原告車の後方から右側車線を原告車を追い抜く形で進行し、その際、原告車右後部ドア付近に被告車前部バンパー左端を接触させたことを推認することができる。右認定に反する<証拠>は、前記認定の第一次衝突の態様に照らして信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、本件事故当時のような激しい降雨中は運転操作を誤りやすいので、追い抜きをするに当たつては、先行車両との位置関係を見極め、十分な間隔をとつて、安全を確認しつつその側方を通過すべき注意義務があるのに、被告は、これを怠り、車線変更を終えた原告車のすぐ後ろから同車との位置関係を確認せず、十分な間隔をとらないでこれを追い抜こうとした過失があるものと認められる。

そうすると、被告は民法第七〇九条に基づき原告らに生じた後記損害を賠償すべき義務があるというべきである。

被告は、自賠法第三条の責任につき免責の抗弁を主張するところ、右認定によれば被告が被告車の運行に関し注意を怠らなかつたということができないことは明らかであるから、その余の点について判断するまでもなく、失当である。

そうすると、被告は自賠法第三条に基づき原告らに生じた後記損害を賠償すべき義務があるというべきである。

3  次に、被告の虚偽の供述について判断する。

判旨<証拠>によれば、原告久三郎は本件事故当時から被疑者として取調べを受け、昭和四九年一〇月三一日浦和地方裁判所に被告他八名を被害者とする業務上過失致死傷罪で起訴され、昭和五二年二月一八日同裁判所で禁錮一年六月執行猶予三年の判決を受け、東京高等裁判所に控訴し、昭和五三年二月二七日同裁判所で無罪の判決を受け、同年三月一四日右判決が確定するまで被告人の地位にあつたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

<証拠>によれば、被告は昭和四八年五月四日上尾事故処理センターで司法警察員に対し、本件事故の第一次衝突は、原告車が被告車左後部に接触したことにより生じた旨供述し、昭和四九年六月二九日浦和地方検察庁で検察官に対しても、また、昭和五〇年六月一七日浦和地方裁判所における原告久三郎を被告人とする業務上過失致死傷事件の第三回公判においても証人として、同様の供述をしていることが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。しかしながら、前記認定の本件事故の態様によれば、右各供述はいずれも虚偽のものであるといわざるを得ず、かつ、被告は被告車の運転手であり、本件事故における第一次衝突が、前記認定のように、原告車の右後部に被告車の左前部が衝突したのか、それとも被告の主張するように、被告車の左後部に原告車の右前部が衝突したのか、という事故の基本的な態様については、いかに瞬時の出来事とはいえ、誤認したり、思い違いをしたりする余地はないものというべきであるから、被告は、第一次衝突が被告車の前部バンパー左端と原告車右後部との間で生じたことを認識していながら、故意に右のような虚偽の供述をしたものと推認することができる。

ところで、<証拠>によれば、原告久三郎に対する浦和地方裁判所の前記有罪判決は、被告車運転手である被告並びにその同乗者である植木柘及び玉丸一郎の各供述を基本として原告久三郎に過失があるとし、有罪の判断をしていること、右植木柘、玉丸一郎の各供述は被告の供述を裏付けるものと位置づけられていることが認められる。右事実及び刑事事件で提出された証拠によれば、浦和地方検察庁も被告の右各供述を基本にし、植木柘、玉丸一郎の各供述をその裏付けとして原告久三郎を起訴したことが認められる。そうすると、被告の前記各虚偽の供述と原告久三郎が被疑者及び被告人の地位にあつたことの間には相当因果関係があるというべきである。

以上によれば、被告は民法第七〇九条に基づき、右故意による虚偽の供述をしたことにより原告久三郎に生じた後記損害を賠償する義務がある。

三消滅時効

被告は、本件事故に基づく各原告の損害賠償債権については、本件事故後間もなくから消滅時効が進行し、三年の期間を経過した昭和五一年四月一五日ころに消滅時効が完成した旨主張し、また、被告の虚偽の供述に基づく原告久三郎の損害賠償債権については、被告が刑事公判廷において証言をした昭和五〇年六月一七日から消滅時効が進行し、三年の期間を経過した昭和五三年六月一八日に消滅時効が完成した旨主張するのに対し、原告らは、右消滅時効の未完成ないしはその援用が信義則に反し、権利の濫用にわたり、許されない旨主張するので、この点について判断する。

1  原告久三郎

判旨前記認定のとおり、原告久三郎は、本件事故の唯一の過失ある加害者として取調べを受けたうえ起訴され、昭和五三年三月一四日無罪判決が確定するまでの約五年間刑事事件の被疑者及び被告人の地位にあつたものであり、右地位にあるものが刑事事件で被害者とされている被告に対し、民事上の損害賠償請求をすることは、その立場からみて実際上極めて困難であること、原告久三郎が右の立場に立たされたのは、被告の故意による虚偽の供述という不法行為の結果であること、原告久三郎は前記無罪判決確定の日から四か月後の昭和五三年七月一一日本件訴を提起していることを考え合わせると、被告が原告久三郎に対し前記の各消滅時効を援用することは、信義則に反し、権利の濫用にわたるから、許されないというべきである。

2  原告健靖は、本件記録中の戸籍謄本によれば、本件事故当時二才七月の男子であることが認められるから、原告健靖に対する消滅時効の援用の当否については、同原告の法定代理人親権者父母である原告久三郎、訴外山中岱子に対する関係において判断すべきところ、原告久三郎の立場については前記(一)のとおりであり、山中岱子は原告久三郎の妻であり、原告久三郎と立場を同一にする者というべきであるから、被告が原告健靖に対し消滅時効を援用することも、原告久三郎に対してと同様に、信義則に反し、権利の濫用にわたるから、許されないというべきである。

3  原告義夫

<証拠>によれば、原告義夫は、本件事故当時原告車に同乗していたが、本件事故発生の直前まで仮眠していたこともあつて、本件事故の態様はあまり認識していないこと、本件事故後も原告久三郎の無罪判決が出るまでの間は、同原告が起訴されたり、周囲の人からも本件事故の原因は同原告にあるといわれていたため、同原告に過失があるとは考え、同原告に対し損害賠償請求をしていたこと、右無罪判決が出て初めて被告に過失があることを知り、被告に対し本件訴を提起したことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。また、本件訴が昭和五三年七月一一日に提起されていることは、本件記録上明らかである。

以上によれば、原告義夫は、原告久三郎に対する無罪判決のあつた昭和五三年二月二七日に加害者が被告であることを知つたものであるから、消滅時効は右時点から進行するものであるところ、原告義夫は同年七月一一日本件訴を提起しているので、同原告についてはいまだ消滅時効が完成していないことは明らかである。

4  原告八重子

原告八重子については、本件記録中の戸籍謄本によれば、同原告は原告義夫の妻であることが認められるから、右加害者の認識については原告義夫と同様であることが推認される。そうすると、前記(三)のとおり、原告八重子についても消滅時効が完成していないことは明らかである。

四本件事故に基づく損害

1  原告久三郎

(一)  <証拠>によれば、原告久三郎は、本件事故により頭部外傷、胸腹部、骨盤及び左上肢挫創傷、頚椎捻挫、左第八、第九肋骨亀裂骨折の傷害を受け、昭和四八年四月一五日柿沢外科医院に通院し、同日から同年五月二日まで一八日間上尾愛仁病院に入院し、同月四日同病院に通院し、同月一一日から同年六月一八日までの間に五回武蔵野赤十字病院に通院し、同年七月一七日から同年一〇月二九日までの間に一五回イスクラ診療所に通院してはり治療を受けたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

(二)  治療費

<証拠>によれば、原告久三郎は、前記傷害の治療のため、柿沢外科医院において金一万二九〇〇円、上尾愛仁病院において金一四万一三三〇円、イスクラ診療所において金二万七四八〇円、合計金一八万一七一〇円の治療費を要したことが認められる。

(三)  休業損害

原告久三郎本人尋問の結果によれば、原告久三郎は本件事故当時塗装業を営んでいたことが認められるところ、原告久三郎が本件事故による傷害のため一八日間入院したことは前記認定のとおりであるから、原告久三郎は少なくとも右入院期間中は塗装業に従事できなかつたことが認められるが、通院期間中にどの程度休業したかは、これを認めるに足りる証拠はない。そして、弁論の全趣旨によれば、原告久三郎は、当時、少なくとも昭和四八年賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計、年令計の男子労働者の平均賃金額である年間金一六二万四二〇〇円を下回らない収入を得ていたものと推認すべきところ、右一八日間の休業により失つた収入は金八万九七円(一円未満切捨て)を下回らないものと認められる。

(四)  入院雑費

弁論の全趣旨によれば、原告久三郎は、前記一八日間の入院中、一日当たり金五〇〇円の入院雑費を要したものと認めるのが相当であるから、原告久三郎の要した入院雑費の合計は金九〇〇〇円となる。

(五)  慰藉料

弁論の全趣旨によれば、原告久三郎は、本件事故により前記のような傷害を受け、精神的苦痛を被つたことを推認することができるところ、本件事故の態様、同原告が受けた傷害の程度、入、通院期間等を考え合わせると、同原告が受けた右精神的苦痛に対する慰藉料としては、金三〇万円が相当である。

(六)  損害の填補

原告久三郎が本件事故について自動車損害賠償責任保険から金一〇万円の支払を受けたことは、当事者間に争いがない。

(七)  物損

<証拠>によれば、原告久三郎は原告車を所有していたところ、原告車は本件事故によりほぼ全壊したこと、原告車の本件事故直前の価額は金二七万五〇〇〇円を下らないことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

以上によれば、原告久三郎は、本件事故による原告車の損壊のため、金二七万五〇〇〇円の損害を受けたことが認められる。

(八)  刑事弁護費用

<証拠>によれば、原告久三郎は同原告を被告人とする業務上過失致死傷事件において、本件原告ら訴訟代理人両名に対し、右刑事事件の弁護を依頼し、無罪判決を受けたときには報酬等として金二〇〇万円を支払うことを約したことが認められ、前記のとおり原告久三郎は無罪判決を受けたものであるから、原告久三郎は被告の虚偽の供述により右刑事弁護費用の支出を余儀なくされ、金二〇〇万円の損害を受けたものというべきである。

(九)  虚偽の供述による慰藉料

前記認定事実、<証拠>によれば、原告久三郎は、被告の虚偽の供述により本件事故について加害者として起訴され、無罪判決の確定した昭和五三年三月一四日までの間刑事被告人の地位にあり、その間第一審では有罪判決を受ける等、多大の精神的苦痛を受けたことが認められるところ、これを慰藉するには金一〇〇万円が相当と認められる。

(一〇)  弁護士費用

<証拠>によれば、原告久三郎は、本件訴訟の提起、追行を原告ら訴訟代理人両名に委任し、着手金として金二〇万円を支払い、成功報酬として金四〇万円の支払を約したことが認められるところ、事案の性質、審理の経過、認容額等を考え合わせると、原告久三郎が賠償を求め得る弁護士費用は金四〇万円が相当と認められる。

(一一)  合計

原告久三郎の弁護士費用以外の本件事故に基づく損害賠償債権は右(二)ないし(五)の合計金五七万八〇七円から右(六)の損害の填補金一〇万円を控除した金四七万八〇七円に右(七)を加えた金七四万五八〇七円であり、虚偽供述に基づく損害賠償債権は右(八)及び(九)の合計金三〇〇万円であり、これらに右(一〇)の弁護士費用金四〇万円を加えた金四一四万五八〇七円が原告久三郎が被告に対して有する損害賠償債権の合計額である。<以下、省略>

(北川弘治 芝田俊文 富田善範)

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